あれから

カテゴリ:地域

8歳の息子が、

AIの美空ひばりが唄う「あれから」を熱唱している。

すごくいいから母ちゃんも聞いてみろとしつこくいうので仕方なく、あれにこれに忙しない手を雑にエプロンで拭って、差し出されたipadを覗く。

故人を偲ぶような歌詞に、まさか今年1月にこの世を去った創士と私の蜜蜂の先生・全ての生物に優しい眼差しを向けていた尼川先生をはじめ、素晴らしい出会いをくださった多くの方々の面影が浮かんでは消えて、山ほど残る家事をよそに、胸を打たれて何度も聞いた。

その4日後の3月9日、サンキューの日に85歳の林さんが旅立たれた。

魚をとることが生きがいだった林さん、最期の4ヶ月ほどは投網を持って歩ける状態ではなく、喪主の息子さんの言葉、「三途の川で魚見つけて、親父も今頃喜んでいると思います。そうであって欲しいです。」私も心からそれを願い、後列で大きく頷いた。

私たち家族は9年前このマキノ に来て、間も無く出会ったこのどうしようもないくらい魚をとるのが好きで人が好きで、曲がった事の大嫌いなハートの熱い翁、林春夫という人に出会わなければ、この暮らしはまた違ったものになっていたと、夫も私も出会った時からずっと恩人と思いながら関わってきた方だった。

特に私は、負けず劣らず人が好きで昔の風習に固執してしまうところが林さんと気が合い、1人で親子で度々訪ね、本当に仲良くしていただいた。

春先には川で群れをなすウグイを、桜の頃には産卵で川をあがる鮒や鯉を追いかけ、海津の祭りには昔ながらの祭り飯で人をもてなし、さてそろそろかと早朝の小鮎とりが始まり、夏の暑い日、林さんの畑を覗いたらハスを探しにどこか川に行っている。秋がきたらまだかまだかとビワマス解禁の日を指折り数え、前の冬まで夜の琵琶湖で雪降る中ワカサギをとっていた。

とれた魚をいつも仲間と炊き出して分け合い、お世話になっている方々やお寺さんに配っていた。

林さんは根っからの琵琶湖の民だった。

私にはそう見えた。

写真家として有名な星野道夫さんの本、読んだ後に残る余韻は色々あれど、私は、彼が言葉で描く出会った人たちひとりひとりの唯一無二の生き方に何よりも感動してしまう。

眼差しに、クマの毛のような無骨ながらも深い温かみを感じるその文章を思い出す度、自分も多くの関わりの中でいち人として生きてることを幸福に思う。

地域に根差して生きる事を面倒に思う人も多くいるけれど、そうかな。

ここに根を張りたいと思える土地に出会え、そこに住む人たちと関わり、春夏秋冬お天道様のご機嫌を受け入れ、その中で暮らす。仕事をする。子育てをする。

単純明快で、今この土地に出会えた私はどんなに心がぶれようとも、ここに戻ってこれる気がする。

このマキノを愛していた林さんから教わった事。

こうして想いを言葉にして綴ることは、大切なものをそっと手で包みこみ引き出しに仕舞う作業のよう。

本当に目が回るほど忙しい日々だけれど、今立ち止まらないと、と言葉を綴る。

AIの美空ひばり「あれから」

息子と一緒のこと言いますが、いいですよ。

2023.3.13