このマキノで、考えている。

カテゴリ:地域

朝、雨戸を開けると風が柔らかく感じる。

なぁそうじ、春がきたねー

そうちゃんな、いい眼持ってるからハル見えるんやで

ほんとに。
子供たちはみんなダイヤの原石のような眼をもってる。

そんな息子は、保健センターの検診のたびに発達相談に引っかかる。
例えば保育園で、
自分で作った紙やブロックの飛行機を手持ちで夢中で飛ばして遊ぶので周りが見えなくなり、友達にぶつかったり物にぶつかったり。
例えば、外で雪遊びの時、最初は女の子から、のルールのもとみんな待てるけど、納得いかないそうじだけは早く雪遊びしたくて大騒ぎ。
これから年少クラスになり人数が増え集団活動も増えるにあたり、自ずと増えるルール。そこを守れるようにどうしたらいいか話し合っていきましょう。
といった内容。
保育園ではどの先生方も本当に丁寧にひとりひとりに向き合ってくださるので感謝していて、その上での発達相談なので何も不安はないし、ルールは必要だし集団活動の中では守るべきだよね、と、発達相談のお誘いは毎年ありがたく受けている。

ただ、この遊び込む力は、もう一方で育ててやりたい。

このマキノで本当に豊かな暮らしをさせてもらっているが、ひとつだけ懸念していることがある。
それは、子供が少ないこと。

私の幼少期を過ごした尼崎・塚口町は当時子供がたくさんいた。
時間があればいつも友達と外で過ごした記憶しかなくて、
小さな頃は下町のマンションの公園、ひとりで自転車に乗れるようになったら地域の公園、川、1日1日が大冒険だった。

森公園、と呼んでいた鬱蒼とした大木に囲まれた陰気に満ちた公園があって、(確か時計台があり、本当か嘘かそこで首吊り自殺の噂もあるくらいだった)
下校後も休みの日も自転車でよく行っていた。
探検にはもってこいのロケーション。
とりわけ記憶に濃いのが、段ボールに捨てられた猫を数人で世話していたらある日いなくなって、だいぶしてから段ボールの中で死んでいたのを友人が見つけた。
誰かが毛布をかけてあげていて猫の鼻しか見えなかった。怖かった。
その日から話題はおばけ猫一色だった。
知ってる者はとにかく怖くて怖くて、死んだ理由より、その猫の鼻だけがおばけになって森公園を散歩していると語る皆の眼差しは真剣だった。
まだ2年生の時。

いい時代で何も制限されることなく幼い頃から親の目を離れ、子供達だけで色々な所を散策し、秘密の遊び場にしていた。
拙いたった少しの知恵と、少しずつ思い通りに動かせるようになった身体、後は自転車と小さな勇気だけで大冒険と自由を手に入れた私たちは、一生子供でいたい!と毎日思いながら馬鹿みたいに走り回っていた。
でも自由とは、何をするのも自分の判断だったから、遊びのどこかに暗黙のルールやわずかな緊張感があった。

そういえば、森公園Ⅱ(鬱蒼とした公園は全て森公園と呼んでいた)の草薮に大きな段ボール基地を作ったこともあったけど、撤去されることも何者かに侵害されることもなく、大雨が降った日まで秘密基地としておやつを食べたり宿題したりして過ごした記憶もある。
誰にでも、幼い頃のこんな思い出があるはず。

あれから27年。
それが今はどうだろう。

規制だらけになってしまった。
そもそも、人間による恐ろしい事件がこんなに増えるとは。
野外で起こる怪我や事故、それは死に至る事もある。

でも、
「危ないからダメですよ」
と言われるだけで、何がわかるのだろう。

その場に行き、自らの本能を研ぎ澄まし、危険そのものを侵さなくても緊張感や恐怖感を頭と同時に身体で体験してこそ、その事柄に対して正しく認知できるのではないのかと思う。

私はそれは、出来れば本当に幼い頃から身に付けるのが、生き物として大事ではないかなと思う。
もちろん、他にも大事なことはたくさんあるけれど。

子供だけで、本当に短い子供時代の大冒険が許されないのなら、大人が用意してやる必要があるのではないか、
子供から自由を奪ったのも、子供を守りたくて規制で縛ってきた大人だけれど。
そんな想いをもち、
滋賀県高島市安曇川で活動している方々が頼もしいことに身近にいる。
「たかしま冒険遊び場」を運営する方々だ。
主催者のワダマキさんこと、わぁちゃんは、昨年秋に活動をこう報告している。

「いつも自転車できてくれる近所の子供たちや、
初めましての子もいて
小さな子も多かったので穏やかな遊び場でした

来ていた大人たちに協力してもらって、長い間使われずカチコチに固まった砂場を開拓しました。

しばらくすると、
いつの間にか子供たちがバケツで水を運び始め
気づいたら泥んこ遊びがはじまっていました

入れ代わり立ち代わり砂場は子どもたちで賑わってました。

いつの間にか初めましての子たちも仲良くなって
イキイキと遊んでます。
大人が介入しない子どもたちの姿は
どんどん遊びに集中して、いい顔になっていきます。
昔なら当たり前の風景なのに・・・

こんな子どもたちの顔が見たくてやっています。

付き添われる親御さんも、どうか大人の価値観で口出しして
子どもの時間を壊さないであげてください。
大人の価値観の正解なんて、ここでは必要ありません。
口出ししてしまう前に、子どもの表情をちょっと覗いてあげてください。
どんなに幼くても
子どもには子どもなりの考えや価値観
彼らの感覚で流れる時間があります。
一生懸命自分なりに考えています。
大人が口出ししてしまう度に、その彼らなりの世界は壊れてしまっています。
生意気なようですみませんが、
その子どもの世界を守りたくて、大事にしたくてこの活動をしていますので
ご協力よろしくお願いいたします!

  • 「たかしま冒険遊び場をつくろう」 Face bookページ 引用 –

息子はこの場が大好きで、心も(ついでに身体も)裸になり、初めましての子どもたちと泥まみれになり思いっきり遊ばせてもらった。
ただ、この冒険遊び場もそう容易く用意できるものでもなく、、、
バックヤードでどれだけの雑務をこなさなければ、こんなただ昔は当たり前だった光景が叶えられないのか。
わぁちゃんたちは今、もっと地域に密着した形で、子どもも大人も何もりきむ事も構える事もなく楽しめる場を模索している。

彼女たちの取り組みを
私は心から素晴らしいと賛同し、必要だ、と危機感すら感じているけれど、
そうは思わない親御さんがおられるのも事実。
子育ては皆それぞれだから当然のこと。
私の今書いている文もとてもデリケートであまり触れない方が良いことかもしれない。

でも触れてしまった、、、、

今私も考えていることがある。
ここマキノでも、何かできないだろうか。
想いだけは膨れ上がっている。

スポーツももちろん学びの場に違いないけれど、
スポーツも元は遊びから発祥したもの。
ただただ遊ぶ中で学ぶ事の重要さを、どうしても大事にしたい。

京都左京区出身の夫は幼い頃地域の少年団に属していた。
率いるのは興味ある大学生、高校生、中学生数人で、属しているのは男女問わず小さいのから大きいのまで。
週に一度集っては色々な遊びをみんなでしたり、年に一度行われるキャンプに向けて野外活動のトレーニングをしたり、熊笹でコーヒーを沸かしたり、ナイフで釣り道具を作ったり、キャンプの間台所になるかまどの作り方、など、夫は少年団で多くの事を学んだという。
もちろん人との関わり方も。
みんな遊びの中ではルールも自然に守れるようになる。
(こういった経験をした上でルールを納得・理解できるようになって欲しい)

マキノは目の前に豊かな琵琶湖が横たわり、後ろを振り向けば獣が住む山がある。
冒険にはもってこいだけど、
子どもが少ない。


活動に興味を持つ大学生や高校生もなかなか集めれない。

マキノの環境下でどうしたら子どもの自由な遊び場が作れるか考え考え、
今、海津に住む大瀬さんに相談している。

大瀬さん自体はカヤック乗りで冒険家。
奥さんと頼もしい息子さん二人がいる大瀬家は、根太い信念のもとに暮らしている。
自然と共に生きること。
自分が生身で体験して感じた事を信じる事。
(まだまだありますが)

以下
「当たり前の景色は、毎日違うもので、1日限りの特別なもの、、みたいに、マキノの当たり前がホントは、素晴らしいんだよ!って、思うだけでも、親子の特別な時間になるんじゃないかなって、思います。
毎日、龍の散歩で、鳥見たり、空見たり、琵琶湖の色見たりして、帰ったら図鑑見る、、みたいな事も、今でもやってますよ。
子供が小さい時は、歩いているだけで、たくさんの発見が楽しくて、家の本は、図鑑ばかりよ。
うちでやってることは、単純なこと、ローテクな事ですよ。」

奥さん涼子さんはこう語る。

私も心からそう思う。
毎日息子娘と保育園の帰り道に草むらや琵琶湖の浜を散策するが、毎日必ず発見がある。
毎日ワクワクするものに必ず出会え、帰り道を照らす夕陽も1日たりとも同じことはない。
台風でも大雪でも、幼い子供達には常に発見があり、ドキドキとワクワクなのだ。

息子がポニョを怖がる、と志郎さん(大瀬さん)に話した。
はじめの魚が群れをなして泳ぐところ、
大波がうねるところ、
とにかく息子は怖くて見れない。
私は、なんででしょね?と笑って話したけど、
志郎さんは真面目な顔して、ポニョ、子供たち平気で見てるけど俺も怖いと思う。といった。
何気なく過ぎた会話のひとつだったけど、やけに頭に残る会話だった。
カヤックに身ひとつで海を渡る志郎さんは、海の恐ろしさを身をもって知っている。
息子そうじは、たわいない琵琶湖遊びの中で、波や魚獲りの楽しさも知ったけど、怖さや見えない湖の中の不気味さも体験した。
そうじの眼にうつったポニョが少しわかった気がし、改めて子どもの目線の素直さ純粋さと同時に、体験にすぐ染まる危うさを感じた。

そんな志郎さんに、
このマキノで、子どもたちが自分の育つ土地に愛着を持てるような遊び場を大元で率いてもらえないだろうか、という相談をしている。
見慣れた馴染みの近所の琵琶湖が、山が、この壮大な地球に繋がっている事を子どもたちが自分で気づけるような遊び場を作りたい。

まだ3歳の息子はよく遊ぶ。
保育園帰りはとっぷり日が暮れるまで外で遊び、夜はそこらのゴミやブロックで制作にいそしむ。
暖かくなれば夜にふらっと父ちゃんと虫や魚をとりにいき(食べるか飼うため)
夏は毎日琵琶湖に飛び込み、秋はそこらの柿やざくろをかじり、冬は雪遊びが待っている。
たわいない日々だけど、これってもう十分遊んでる!!

には間違いないのだけど、

今は親子であらゆる経験を積み、共感し、心の根っこを育てる。
でもいつか近い将来、それを友達同士で共感して笑って喧嘩もして育ってほしい。
その時、父や母はいない方がいい。
子どもたちだけで良い。
ただ、その危うい魂を導いてくれる第3者という存在は、とても重要に思う。

学校や習い事の先生、近所の年上の人、子どもたちの心にどれだけ影響を及ぼすか、個人差はあるにしても大きい。
(反骨精神も含め)

大人になって、誰もがみんな志郎さんのようにワイルドに生きたいわけではないだろうけれど(ごめんなさい、志郎さん)、
志郎さん一家の信念は、身に付けるととても豊かで、どんな世になっても生き抜く強さを持てるんじゃないか、と私は思う。

何からできるか具体的なことはまだ手探りだし、すぐに実るようなことではない。
とりあえず今は家族、親子の太いパイプを築く時間をしっかり持ちたい。
その上で、大人が介入し過ぎない子どもたちを尊重したマキノならではの遊び場が
どうにかできないものかと、ずっと考えている。