ギャラリーのこれから。
2020 / 04 / 10カテゴリ:木工
春だ。(写真は秋)
巡る季節はここマキノにも桜前線をもたらし、今や眩しい陽光の中で満開の桜が春を謳っている。
ただ、同じ遺伝子を持つソメイヨシノが全国一斉に咲きだす頃になると、恋しくなる景色がある。
それは、冬のまだ頬にささる寒さの散歩道、荒れた枯れ草の中を漂う芳香の先に、その名の通り枝に蝋燭を散らすように咲いていた蝋梅。強張った肩に待ちわびる春の吐息が沁み入るようで、通るたび思わず目尻が下がれば子らと歓声をあげ駆け寄り、ほころぶ顔で枝をひとつ折り持ち帰った。
雪解け間近の潤んだ白い世界に、所どころ丸い穴をあけて顔を出す硬く蕾んだ蕗の薹には、この小さな粒がこの寒さの中どうしてこの雪を溶かせたのだろうと、ふとあの凝縮された苦味が思い出され、息吹の季節がそこに来たことに心弾み足取りも軽くなった。
また来年も出逢えるだろうか。そんな風景に。いいえ、そんな自分に。と、この歴史的なコロナショックで少しずつ変わっていくかもしれない世間の流れや暮らしを思い、ふと影がさす。
昨年末に倉庫部分を改装し、夫山本の家具を展示するギャラリースペースがやっと用意できたものの、コロナの影響で早い時期からトイレが買えずなかなか開けれずにいて、
それでも、直接ご連絡をくださり、わざわざ遠方から訪ねてきてくれる方々のおかげで、ゆっくりと場所が呼吸し始めたのを感じる。
ここに居る時間が長い私は、ここがどんな空間になっていくのか、度々ひとり、詰まった木目の美しい樺材の床に立ち考えている。
夫の木工、または染色の仕事魂からではなく、あるひとつの生物との出会いをきっかけに、子2人と山に通いだし、日本の森林の歴史を学び始めたのは昨年秋のこと。
昨年たまたま見つけた絶滅を危惧されている生物。約1カ月ほどの間に大量に死滅してく様を目の当たりにした。当時2歳の娘は背に、4歳の息子は頼りになる補佐に、泥に埋もれた用水路やイノシシのぬた場を朝に夕にうろつく姿は、振り返るとまるで全て冗談のように滑稽だが、確かに息子と描いた絵日記には奮闘の様が記されている。
環境や風景は変わるもの。何がどう変わって絶滅寸前の現状があるのかを知りたくて、歩き回り聞きまわり本を読み行き着いたのが、日本の森林、里山の変化、つまりは森林と人との関わりの歴史を辿ることだった。
これは専門的な分野で、かじっただけの浅い知識では到底何も意見できないものの、
あまりに当たり前に目の前にある森林資源に意識を向けることは、自分がここで住まうことを改めて見つめ直す大事なきっかけになった。
連綿と綴られ続ける歴史のほんのひと幕のわずかな一滴。けれどそれは岩をも穿つ一滴であり、大河に続く一滴でもあると、大きな関わりの中にある人の営みをそう思いたい。
木工仕事、そして私のすっかりスローペースが身についてしまった染織作業、それは素材との対話に始まり、いつの間にか自分の心象風景の中を歩いているもので、でもその背景には土くさい懐が、その歴史も含め大きく広がりをもって在ることを心して、この場所で何ができるか、自分自身も含めて在り方を考えていきたいと思う。
ちなみに、今年の救出活動にはくつき森林公園やまね館スタッフの方が個人的に協力してくれたり、琵琶湖博物館の学芸員の方々が助言をくれたり、御近所さんには場所や情報提供をいただき、無事に家で孵ったおそらく1万匹近くを放流。(家に並ぶ大量のバケツや桶、ミジンコとりにフラフラ出て行く私に夫も呆れる他なし)
元気に育ち、これからも命を繋げますように。みさとさん、また来年もよろしくお願いします!
2020.4.10