愛の春

カテゴリ:暮らし

愛の春

春の柔らかい陽射しの中、車を走らせる

カミサマはたわわなおっぱいから溢れんばかりの乳を空に垂れ流してしまったんだろうか、、と、乳の墨流しをした霞雲を眺め、湖面に遊ぶ光の粒に目を細め、今年も見つけたヤマトサンショウウオの卵を思い出し、始まる命の循環に鼓動が高鳴りハンドル握る手にも自然と力がこみ上げてくる。

第3子となる次男を産んだ1月から

お空にカミサマのおっぱいを浮かべてしまうほど毎日が赤ん坊との暮らしの中にあり、授乳におむつ替え、寝かしつけに沐浴、ぐるぐる回るお世話だけでいつの間にか月日が過ぎ春到来となった。

つわりに加えて切迫早産で寝たきりになってからは作業は出来ずパソコン仕事もままならず、募る歯痒さは苛立ちから諦めになりつつある日々。

毎日膨らんでゆく赤ん坊を見つめてはこれぞ私の一大任務とキリリねじりはちまき使命感まで感じ、ふわふわのひよこ頭にやけっぱちのキスをする。

もうひとり、ねじりはちまきが薄っすらおでこに見える者がいる。

今年小学生になる息子、枯渇する水路で保護した卵から毎日産まれてくるサンショウウオの幼生たちのお世話に夢中である。

毎年部屋中にバケツが並ぶため今年から三段ラックを導入、これがなかなか良かった。

成長過程による一段目二段目、三段目の仕分け、彼流の仕分け具合が三段では収まらず結局バケツが並び部屋の一角は水浸しとなるのだが、生き生きとお世話に興じる彼を見てるとつい加勢してしまう。

自然に対して彼の関心と愛情は広く深く、たとえ成長と共に興味の矛先が変ろうとも、身近な実体験から自ら身につけたセンスオブワンダーは、先々彼を励まし続けるのではないか。

この繊細さは吉と出るか凶と出るか、水仙の花びらに小さな露を見つけ喜ぶ姿に母は思う。

卒園アルバムに、

ぼくが大きくなったら。

冒険家の木工職人で犬を4匹飼う

水族館の飼育員とか木のお医者さんとか年中ころころ変わる夢だけれど、この春うまい具合にここに到達し、木工家の父親を感動させた彼。

次男のおむつを替えながら、漂う乳カス混じりの便の匂いに包まれ彼の産まれた7年前の5月を思い起こす。

命の膨らみに、やはりカミサマのおっぱいが浮かぶ、愛の春である。

2021.3.13