業の結晶

カテゴリ:仕事

冬の凍て空の下、膨らませた羽毛にくちばしをうずめ等間隔をして漁港に並ぶカモメたち。
白とグレー色をした酷寒の中でのその光景は、張りつめた琴線に立つ柱(じ)のように見え、ひょいと爪で弾けば硬質な音が湖面に響き渡るような感覚だった。

それが最近は、おのおのにだらけて羽根から首をもたげ、あれほど綺麗に並んでいた整列は乱れ、好き方々向き合うもの同士は、
「あーあ、、あんたそろそろシベリア帰らなあかんで、、」と3000キロにも及ぶ地図のない旅への心積もりを、気怠そうにため息まじりに会話しているように見える。

寒さでこわばった肩の力が抜け、ようやく春めく日々がやってきた。

ようやく機にかかったままの着物も織り始めれる、、と他のことには全て蓋をしたいけれど、そうもいかない。
藁で時々見えなくさせるくらいだろうか。

というのも、
1階の倉庫の改装、家業Souboucraftの展示スペースづくりがこの春から始まった。
親しい大工さんに相談しながらの半セルフビルド、夫婦でまた埃まみれの毎日が始まる、、。

もうひとつ、大事なプロジェクトが始まった。
およそ4年前の春、心肺停止7分に陥る医療事故から生還し、更には「全国マンチン分布考」という方言の学術本を集英社インターナショナルから出版した伯父の、
「ぼく、なんで生き延びたんかな?」の素朴な疑問から、この春個人的捜査が始まった。

伯父は、声を失ったり飲み食いには不便を要するようになったものの、独り暮らしを変わらず続け、海外にも1人で好きなところへ、アジアの大衆食堂に行く。
奇妙奇天烈変人ぶりが増したのは脳ダメージの後遺症か、開き直りなのか、
とにかく伯父の、人生を賭けた捜索の手伝いをすることになった。

伯父が病院で窒息し、三途の川のほとりにいた時は伯父の名をひたすら呼んだ。
毎日通い、脳を冷やす低体温療法で冷たく固くなった手足をさすり続け、その後奇跡的に覚醒し、リハビリ、退院、そしてずっと資料作成に関わっていた本の出版を共に喜び、今もなお方言研究の手伝いをしている。

お世話になった救急医療センターの医師に会いに行くと、当時のことは印象的だったと話され、
伯父が生き返れた理由は、この世にやり残したことがあったからだという。そのお手伝いをしたまでです、と。

同時に、こうして息を吹き返し元気に暮らしている姿をみると、自分たちがあの時にしたことは間違っていなかったのかと嬉しく思う、とも。

窒息中に、脳が破壊されていく過程で起きるといわれる大きな痙攣が何度かあり、医者達に脳死か植物人間と言われていたあの状態から3年半、痩せた顔は目を爛々と目立たせ、病にひるむ間なし、とばかりに杖をつきながら行動し、筆談用の大学ノートは真っ黒になるまで字をかいて相手に伝え、多くの方々のご教示、ご協力、お導きを受け、実に緻密に調べ上げた本を書き上げた。

これが業の結晶というものか。

強烈なまでの業への意欲、執念を放つ伯父、松本修。

探偵ナイトスクープの初代プロデューサーで、この番組が出来ていくまでも様々なドラマがあり、もちろん伯父は常に燃えていた。

今もなお、ナイトスクープに関わっている。
もし私が同じ状況になったら同じように奇跡の生還を果たせるだろうか
幼い子ふたりを残してはまだまだ死ねぬとは思うものの、ひとの命は1本の葦のようにか弱く儚く、しかし、その葦は考える葦である。

杖をつきながら猪突猛進に常に目標に向かってあゆみ進む伯父をみながら、それを思う。

2019.3.25