糸
2025 / 06 / 15カテゴリ:染織

5年ぶりの整経は実に問題だらけである
伸びては縮みと息づきながら、つまずく私に歩を合わせてくれる絹糸
この頼りある粘りのある糸を初めて触ったのは、京都西陣の糸染め屋だった。
当時女職人は私ひとりで1番若く、大方6、70代の職人達が明け方から日暮まで腕を振う職場で、振り返ればまさに青二歳とはこの事だった。
長靴で歩き回る糸染め屋の現場は暑い時期は40度をこえ、汗だくだった。
そこら中の開いた釜から熱く白い湯気が立ち昇り、職人は尻のポケットに差した手かぎをさっと出し、手かぎの先でひょいとひとカセ糸を取り上げ素早く糸に回転をかけて絞る。
糸が乱れないよういい塩梅に力をゆるめ、さっと手かぎを振り降ろすと、パンッと爽快な音が鳴り、途端に空気を含み捌かれた糸カセとなる。
それら一連の動きは瞬く間で、手が鮮やかに舞う流れるような仕事に憧れて、何度も練習をした。
工場内は精錬といって絹糸のタンパク質をとる石鹸や仕上げにいれる助剤の匂いが立ち込め、その中、染め上がった色糸をひとカセ腕にかけ持ち歩き、指定の光の下で色見本と見比べわずかな色味を合わせていく。
その立ちこめる匂いで連想されるのは、糸干し場で乾かされてふぅわり膨らんだ糸の触感で、疲れた時は湯気の中を歩き回りながら膨らんだ糸に顔を埋めたいような気持ちだった。
後に、女職人採用は化学繊維の染色データをまとめる事が任務であると知り、当時絹糸職人に恋焦がれていた自分には辛い宣告であった。
今思えばそれも十分やり甲斐のある仕事でやり遂げるべきだったと思うが、当時の自分は執拗に生き物がはく絹糸にこだわり、更にその頃たまたま入った京大向かいの古本屋で手にとった一冊の本をきっかけに、草木染めへの憧れも次第にどうしようもなく膨らんでいった。
今は絹糸以外の魅力もわかるようになり、もっと知りたいと思うし、糸がもっと身近であればとも思う。
懐かしい
現場仕事らしく大声で怒鳴られては悔し涙をこぼし、時に怒って冗談ばかりに笑って。
水に濡れてより高貴な艶肌をして泳ぐ絹糸を、年季の入ったごつごつの手がいともしなやかに淡々とお世話する姿が今も瞼に焼きついている。
蚕の入った繭ごとゆで、蚕の命と引き換えにいただく絹糸
その儚さゆえ光るのか
糸に真摯に向き合い、一色にかける情熱を持った職人の皆、優しくも厳しくもあった当時の専務、社長ご夫妻との日々に、見えない感謝の糸で繋がっていたいと願う。
2025.6.14