10歳のアームチェア
2017 / 03 / 12カテゴリ:木工
夕暮れ時、赤く焼けた空を飛行機が雲をひいてとんでいる。
冬の終わり、息子と散歩の時間。
まだ固く積むんだ桜の蕾はほのかに赤みを帯びてきたように感じる。
今日もその薄赤の一滴をつくりだすためにこの1日を捧げた、桜よ。
植物の人知れず行う命の営みを儚く思う。
晩御飯に家の前で摘んだたったひとつの蕗の薹を、てんぷらにして夫にだす。
お父ちゃんこれ好きでしょ。
ねぇ、いい椅子ができたねぇ。
全て声には出さずに心の中でそっとつぶやく。
もう10年前になるのだろうか。
初めて作った、アームチェア。
精華大学立体造形科の野外エントランスで、当時もっていた小さな電動工具と精一杯の知恵と技術だけで椅子の背もたれのカーブを、削りだして接着、更に削りだして形にする事に奮闘していた、ニット帽を深々とかぶったつなぎ姿の夫。
その時から作りたい形が変わってないところがすごい。
飛騨高山で木工修行して、木に関するあらゆる知識や技術を学び、大型機械も扱えるようになった。色々な出会い別れ、独立、そして父にもなった。
歳をとって人生に少し厚みが出たように、夫のつくるものにも前とは少し違う深みのようなものが出てきたように思う。
コトバ下手なので作ったものが彼の声の代わりを果たす。
さてこのアームチェアは何を語るのだろう。
私にはやっぱり、10年前の、まだまだ拙い技術でひたすら形を追いかける、あの小柄な夫の背中が浮かぶ。
「こんにちは、御年10歳になりました」
今生まれたばかりのアームチェアから聞こえる気がする。
夫は、暖炉の火のような人だ。
ゆらゆら静かに燃えていて、でも確かに熱をもち、ちょうどクヌギやナラの木を燃したら出る柔らかい炎のような、
そんな人だ。
少年の時に見てなんかかっこいいと思った造形物を、今なお追いかけている。きっと死ぬまで、本当は舟がつくりたい、だとか、鳥型飛行機がつくりたい、とか言ってる、
そんな人だ。
毎日疲れて帰ってきても子供たちを見つめて抱きしめ、おまえたちがいるからな、と宇宙に旅立つ前のアルマゲドンのワンシーンみたいなことをする、
そんな人だ。
でも、いただきものの美味しいどら焼きを、ぼーっとしながら息子の分まで食べてしまって、憤慨する息子と嫁の前に、えーぼくそんなの食べたかなぁーて顏できょとんと正座して怒られている、
そんな人である。
2017.3.12