母ちゃんの療育

カテゴリ:子供

暑い夏。
何度も見てきた夏。
それでもいつも、入道雲のように真っ白なノートに新しい絵日記を描きたくなる。

夕暮れに汗と疲れを滲みとかしてくれるぬるい琵琶湖、
この季節を楽しみに集まる旧友たち、
夜釣りにカブト虫とり、灼熱の畑でかじる瑞々しいトマト、
毎年同じことを、でも毎年少しずつ違う気持ちで楽しんでいる。
子供が勢いよく根を幹を伸ばす隣で、親の私も引っ張られるように成長できているだろうか。

息子が療育に通い出し、4ヶ月を過ぎようとしている。
母ちゃんデーを入れたら、息子とゆっくりした時間をとるようになってもうすぐ1年を迎えようとしている。
妹が産まれても赤ちゃん返りをしなかった息子は、今はすっかり甘え上手にもなり、大好きな事に毎日心をときめかせ、喧嘩や交渉ごとに対しても幾分冷静に着地点を持てるようになってきた。
自分自身の心の持ちようで、土壌を豊かに肥やしていく方法を見つけ出してきたようにも感じる。
いやもしかして、彼はただ自分らしく成長過程を積んでいるだけで、親の私の気の持ちようが変わってきた、、そんな気もする。

息子の通う療育は、週に1度、午後にある。
療育というと一般に浮かぶのは、発達障害という言葉ではないだろうか。
でも実際は、あらゆる事情で通う親子の姿があり、場は常に朗らかで、どの子もみなそれぞれ弱さを持っているという事をまずその場の全員が受け入れ(それが導き次第で強さになるという事も含め)、親同士と先生方一緒に話し合って共感しあったり時に意見したりする場所。
子どもとの生活、家族のあり方を嫌が応にも見つめ直すための時間。
それは日々子育てに奮闘する親にとって、少し立ち止まりこんがらがった糸をほぐしてくれる時間、と私は思う。
来る日も来る日もめまぐるしく過ぎ、そんな中でも元気に保育園にも通うし見過ごせれるといえばそれまでの幼いゆえの行動。
でも、今この時期にゆっくり向き合えたことは、確実に私自身にとっても大きな財産になっているように思う。

「しーちゃんのために行くんやで」と療育を勧めてくれた夫のお母さんの言葉が今はよくよくわかる。
「親子揃っての習い事のようだね」共に通うお母さん仲間のこの可愛らしい言葉がいつも浮かび、ここに至るまでのあらゆる成り行きへ感謝の気持ちが常にある。

と、同時に、
普通にはおさまるなよ!といつも母は願っている。
命続く限り、ワクワクする事に突っ走って欲しい。
そのためには1つくらいパーツが変わってるくらいにむしろなって欲しいとも思う。
もちろん、いつも兄を慕って同じようにヤンチャする妹にもそれを願ってるよ。

子どもたちが壮大な夢を、この入道雲に思いっきり描く日を、母ちゃんは何よりも楽しみに待っている。

2019.8.9