あがめ味噌

カテゴリ:暮らし

早朝4時暗闇を小さくノックするような目覚まし音が始まりの合図。

3月とはいえまだ寒い朝1番、米をとぐ手が冷たさできんと骨までしびれる。

でも、食は生きる力と思う自分は、寒さに背中を四角にしながらも毎朝この瞬間をどこか待ち侘びている。

さて。

うちの食卓はなかなかじじくさい。

その由来というのは、昔染織で弟子として勤めていた頃、弟子数人だけで囲む昼食は毎日交代で担当する習わしだった。皆修行の身、細々とした暮らしで更に中にはビーガンの方がいたりするので肉や魚は無しかほんのわずか、半合分の白米と、汁物、そして必ず野菜をたらふく使ったおかずが2品。

それを時に楽しく、

担当の仕事の進み具合によっては時に重く神妙な面持ちで食べるのだが、

全て含めこれは本当によい経験であった。

今は多少メインに若者好みが出る日も増えても、あの時の延長のような普段の食卓。

そんな質素ながらも毎日の食卓に幸せをもたらしてくれるものが、美味しい米ともうひとつ。8ヶ月ほどかけて発酵させる自家製の味噌。

もちろん材料は大豆、塩、米麹のみ。

その味噌仕込みは毎年寒仕込みの冬と決めている。私にとってこの味噌はただの味噌ではなく、人生の相棒かお守りか、という想いを含んだ意味深いものなのだ。

味噌を教えてくれたのは夫の母で、かれこれ10年ほど前のこと。

夫の母の味噌伝承は嫁にきた私だけでなく、私が習う前から毎年50甕分くらい、つまり50家族ほどの親しい同世代の友人たちや職場で知り合った若い親子までが代わる代わる夫の実家に集い、楽しくおしゃべりしながら味噌を仕込む。 

味噌は発酵と共に生まれる物なので仕込めばそこで終わりでなく、うちなら約8ヶ月ほどの間甕の中でひたすら静かに、まず麹菌、続いて乳酸菌、そして酵母菌が各々の役割りを果たしながら発酵熟成し続けて、蒸せ返る夏を過ぎた頃にやっと、あの黄金色の味噌の出来上がりとなる。

頃合いを見計らい開封するのは、作った時の和やかな空気ともまた再会するようで、ふかふかに仕上がった味噌を前に懐かしいような親しみを感じる。

その元気印のお母さんとそれを阿吽の呼吸でサポートされるお父さんを中心に、夫の育った家族は互いに素直に思いやれるチームのようで見ていて心地良いものが伝わってきて、訪ねるたびに美味しいご飯と気さくな会話で私はいつも膨らむ風船のように心を満たしてもらい、背中を押してもらい、もちもちのお母さんの手で丸められる大きな味噌団子を思い浮かべ、すっかり心の丸まった自分を重ねたりする。

夫の母から教えてもらった味噌は麹の量が多いため甘めで、我が家は何かのお礼をする時には大抵袋に詰めたお味噌を渡す。そのため家用だけでも22キロほど仕込む。

そして数年前からここマキノでも、色々な方と味噌仕込みをするのが冬の恒例となり、それは馴染みの友人、会うのが味噌仕込みの年に1度の方もいれば、差し上げた味噌をきっかけに親しくなった方、お年寄りから子供まで、この味噌がもたらしてくれる人の繋がりは、今もこれからも我が家の宝物だと私はこの味噌に感謝感謝といつも小さく心の中で呟く。

  

そんな味噌を使う味噌汁は、だしをきかせて野菜に豆腐にお揚げ、時には琵琶湖のふなに鯉、ビワマスにしじみ、豚汁にきのこ汁。ワカメをいれると味がひきしまってこれまた旨い。

寒い日、食卓について湯気のたつ味噌汁をまずすする。それは凍えてこわばった心と身体を魔法のようにほぐしてくれる特効薬のよう。

本当にまるで、いつも温かい夫の両親のような懐深い味わいで、この先息子や娘たちにもずっとずっと受け継いでいきたい私たち家族のお守りなのです。

ありがとうございます!

2022.3.11