4つ巡りて よびごえ白き糸ごとく
2018 / 12 / 26カテゴリ:暮らし
藍の眼に
おぼろなりし ひかりのひ
とき4つ巡りて
よびごえ白き糸ごとく
もう
長らく深い青をたたえた藍甕に触れてないが、
真っ白い糸を両手指にかけ、漆黒の闇より深い青の宇宙に腕ごと糸を浸す時は、誰もが息をのむ。
人肌にぬくい青の液が、ガサガサの手に刻まれた皺をつたいじゅんわりと染みていく様は
まだ人生序段と言えどこれまでの日々を労ってくれるように優しく、ひと汐ごとに深まる糸は甕の中でゆらめく青い炎のようにも見える。
そして、そこにはいつも自分自身と対峙する静謐な時がある。
この1年。おおかた子供のことばかり考えて過ごした。
何よりも、日々多事多端の私を横目に、理解をくれて黙々と自分の仕事に精を出して家族を支えてくれた夫に感謝いたします、、、、。
マキノでも子供を中心とした遊び場を、と奮い立って始めた7月。
そして今これを書く今年の終わりまでどれだけの出来事が、出会いが、息子への度し難い怒り、対する母の自分への落胆、そしてそれにも増して大きく深い喜びが、あったろう。
子供同士の関わり合いを見つめてゆきたくて始めた遊び場、
それがまさか、我が子の心の未熟さを目の当たりにすることとなり、まだ幼いと言えど抱いた一条の不安は大きく、とても重苦しいものだった。
「どんな自分でもたった1人の自分」
親として何ができるか悩みながら〝かぁちゃんデー〟をつくり、息子と向き合い色々な言葉を交わしたけれど、今思えば私がぼんやり伝えれたことはこのひとつきりだったように思う。
下の子の誕生で手いっぱいになり、息子と向き合えなかった大事な日々をゆっくり取り戻しながら、「マキノらぼ」も、まずは親子で向き合える場所として歩みだしている。
多くの方々にご理解とご協力をいただいたことに、感謝してもしきれない。
はや4歳半を過ぎた息子に、あの初めて抱き上げた時の底知れぬ深い深いいとしさがこみあげてくる。
5月。
乳の香り漂う生あたたかい病室。未来へのびた白い光に包まれているようだった。
吹き込む風さえも乳白色のように柔らかく、産まれたばかりの息子はじっと風の声を聴いていた。
歩き始めた散歩
見つけたわた毛を近づけてやれば、その小さなしじみ貝のような口いっぱいにくっつけて吹く。
今は私の前を歩き、手いっぱいに摘んだわた毛を上手に吹いてみせ、妹にも吹き方を教えてやる。
言葉なくいとも当然のように差し出す短い腕と小さな手のひら。足りぬ長さを補うために腰を曲げて手を繋いで散歩した日々。
今でも手を繋げば心が繋がったような気がする。
あのか弱かった腕は、私のたくさんの荷物に気づき、手を差し出してくれる頼もしい腕に変わってきた。
あの時の彼はまだふにゃふにゃで、ぎゅっと抱きしめるとつぶれてしまいそうだった。
それが今、改めてギュっと強く強く抱きしめる。
息子も「抱っこ!」と強く強くしがみついてくる。
本当に、いつの間にこんなに体がしっかりしたのだろうと、喜びと寂しさが同時に甘く胸をしめつける。
まだまだ甘えたい。
かぁちゃん大好き、かぁちゃん大丈夫?かぁちゃん、かぁちゃん
かぁちゃんのために作ったんやで、なぁかぁちゃん聞いて、かぁちゃん、かぁちゃん、、、
息子のためにと始めたかぁちゃんデー
でも変わったのは、息子よりも私の方かも知れない。
夜中に起きだしてペンを握り多くの言葉を書くが、消す。書いては、消す。
到底言葉にしきれない熱い想いをどこに投げよう。
と、思っていても明日の朝になればまた
「はぁ〜子育ては大変や〜」
日に幾度もつい口から出るほど、本当日々はせわしなく我を忘れるまま過ぎてゆく。
ただ、子もたった1人の自分であるように、親の私もこうして時々そっと自分の海に還りたいもの。
やりかけた仕事の山を前に、もうすぐ来たる年に想いだけがはやる。
最後になりましたが、
今年も一年、夫も私も、時には家族ぐるみで本当に多くの方々に多くの励ましや手助けをいただきました。
心より、深く感謝いたします。
お世話になった皆さまの、ご健康とご多幸をお祈りしてこの1年を静かに振り返りたいと思います。
ありがとうございました。
山本家 一同