祭りの肴
2018 / 05 / 03カテゴリ:暮らし
昼の時雨の中、男が網を手繰り寄せている。
前日の雨で水かさが増し濁った水面から、見覚えのある生白い腹と尻尾がゆっくりうねりながら浮かび上がってくる。
鯉だ。大きい。
もう水面しか見ないと決め込んだように深くかぶったつば付き帽子からのぞいた顔は、近所の林さんだった。
休憩中で、まだ草刈り用のヘルメットをかぶったままの私が誰なのか少し考える目をしてから、
そこの、取ってくれんか
大急ぎで岩場から浜に降り、置いてあった長竹をつかみ林さんに渡す。
林さんは手を伸ばし受け取ると水中の網にグイッと差し込み、どうやら鯉と真鮒が入った網をゆっくり足元に寄せて引き揚げ、重さで半ば引きずりながら浜に運ぶ。
草刈り中竹で裂けた長靴から水が入り足元が濡れていたのに、嬉しさと興奮でしばらく気づかなかった。
毎年4月29日は海津力士祭り。
この祭りのご馳走のために、何日も前からこうやって琵琶湖の魚をとる。
海津力士祭りはもう300年前から受け継がれている伝統のお祭りで、
海津の町は平安時代に湖上交通の要として栄え、江戸時代には最も賑やかになった。その当時、廻船問屋で働く若者たちを中心に、船出の風を待つ間に相撲を取り戯れたことが始まりで、化粧まわしをつけて御輿をかくようになったとか。
林さんが若い頃は独身男性だけがまわしをつけ御輿をかき、その雄姿に女が惚れる、それはそれで大事な行事だったそう。
今80歳とすこし、御輿を何度もかいてきて、いまだに祭りを大事にする林さんは、祭りのご馳走を自らとった魚を仲間たちと集い料理し、配ったり振舞ったりして祭りを楽しんでいる。
「うちに祭りしにくるかー」
毎年、友人や家族を連れてお邪魔している。
我が家も祭りが好きだ。
夫は御輿かきまだ4年目の新入りだけど、今年は西浜の御輿の舵取りを任された。(人数が少ないからだけど、、)
旦那はんが気張って祭りに参加するからには嫁子供も一家総出でお祭りしまひょ!とこじつけて、祭りの数日前から林さんちに出入りする。
祭り飯の手伝い見習い3年生。
鯉、鮒料理に精を出す。といっても私はまだまだ雑用3年生。
林さんがよく言う言葉、川友たち(かわとも。川で出会った魚とり仲間)、味付けの先生たち、皆戦前生まれの方々が4、5人集まり手際よく捌いて調理する。
この光景は毎回感動に価する。
ビチビチ跳ね回る目玉が飛び出そうな大きな真鮒や、メートル級の巨鯉を捌く様はまさに残酷劇場で目を覆ってしまうこともあるけれど、
ただ いち民家の裏庭で、
琵琶湖から引いた地下水流しっぱなしで、
2日にわたり、3、40匹近くの自分たちでとった鮒や鯉を地面に置いた古びた板の上でバッサバッサ捌き、
大釜で割り木で焚く、
刺身にする、
刺身にはあらかじめ取り出し湯がいて絞った魚卵をまぶす、
アラは地下水で綺麗に洗って持ち帰り、
残ったところはカモメやトンビ、魚やエビの餌になる。
裏庭の小屋には大樽の鮒寿司がつけてある。
全てお天道さまの下、皆ふらりと集まって各々のすべきことをし、たいした事ないようにふらりと帰っていく。
あまりに淡々と行われるのでうっかりするけれど、これは祭りと共に受け継ぎたい行事だと、このチームプレーを心から素晴らしいと思っている。
もうすぐ4歳の息子はまだ首の座る前からお父ちゃんの魚とりのお供につき、今では、釣りにしろ投網にしろ、すっかり使える相棒に育ってきた。
春は魚の産卵の季節。朝に夕に投網をのせた軽トラで魚を追う。休みには気長に釣りでビッグファイトのかかりを待つ。
もう、、、おもちゃもなんにもいらない
魚がいればいい
保育園登園前、早朝の投網から戻った息子が呟く。(もちろんそう言ってるだけだけど)
そんな息子も祭り飯見習い3年生。
アピールの甲斐あって今年は味見係。
網にへばりついたたきたての魚のうまいこと!
飴炊きの魚卵はクッキーのように固まっててほどよくかじれる。
この豊かな琵琶湖の幸は、近年ではあらゆる方々の努力のおかげだと、手際よく鯉を捌きながら林さんが色々話してくれた。
この琵琶湖がこの先どこにゆくのかがもう半分、いや半分以上、人間の手にかかっている。
林さんの家の前を通ると、停めてある軽トラに長竹が積んであったら、ああ、今日もいってたんやな、とホッとする。
4年ほど前に川で投網してたら林さんと出会い、投網の投げ方、魚の事など多くを教えてもらい川友認定を受けた夫、今朝は早起きして、そわそわしながら息子を起こして魚のところへ行った。
いつか息子も気の合う川友に出会い、祭りの日にはこうして琵琶湖の恵みを仲間たちと堪能できる、そんな豊かな琵琶湖がこの先ずっと、ずっとずっとありますように。
2018.5.3